このページでは、南箕輪村の人口増の理由を考察する過程でまとめた数字の紹介が中心となっています。
もっとざっくりと南箕輪村のことについて知りたい場合は、「人口増の考察とこれからの提言」を、ぜひご覧いただければ幸いです。
目次【本記事の内容】
人口の推移からの人口増の考察
1 これまでの人口の推移とこれからの推計
南箕輪村の人口増は2040年まで続くと予想されていますが、まずは村が出来てから現在までの人口の推移を見ていきたいと思います。
(1)現在までの人口の推移
人口の推移
1875年 | 2,333人 | 明治8年に南箕輪村誕生 |
1975年 | 7,664人 | 昭和50年に村制100周年 |
1985年 | 10,000人 | 昭和60年12月23日に10,000人 |
1995年 | 12,000人 | 平成7年2月1日に12,000人 |
2004年 | 14,037人 | 平成16年の平成大合併では「自立」を選択 |
2013年 | 15,000人 | 平成25年9月30日に15,000人 |
2018年 | 15,500人 | 平成30年11月21日に15,500人 |
人口増の特徴
順調に人口を増やしてきた南箕輪村ですが、人口増の特徴としては、昭和40年頃から県内TOPレベルの高い人口増加率を保ってきた、ということが挙げられます。
現在は、日本全体が人口減少時代に突入し、長野県も急激な勢いで人口が減少していますが、南箕輪村のように人口が増えている自治体もあります。
それらの自治体に共通して言えることは、どの自治体も社会増であるということです。
人口が増えるのか減るのかは、社会増減と自然増減の足し算によって決定されます。
県内77自治体のうち、人口が増えた9自治体の中で8自治体は社会増ですが、実は自然減となっています。
それでも人口が増えているのは、自然減の減少数が社会増の増加数を下回っているからです。
そんな中、南箕輪村は社会増にプラスして、唯一自然増も達成しており、その結果当たり前ですが、人口が増えているという結果となっています。
低い高齢化率
南箕輪村の人口ピラミッドを見てみると30代から40代の層が一番多く、
高齢化率は23.1%(平成29年4月)となっています。
これは長野県内で最も低い数字であり、全国平均よりも低い数字です。
全国の高齢化率は27.7%(平成29年10月現在)
引用:平成30年版高齢社会白書(概要版)
保育園児数が40%も増えた事例
南箕輪村の自然増が多いことを示す顕著な事例としては、村の保育園児数の増加が挙げられます。
平成19年と平成30年の保育園児数を比較すると、
平成19年は497人、平成30年は696人となっており、10年ちょっとで約200人=40%も増えた計算となります。
南箕輪村に若い世代が集まり、自然増を毎年達成している理由が良く分かる事例となっています。
ちなみに平成31年度は800人弱となることが事前の調査で分かってきました。
(2)これからの人口の推計
次に未来の話をしていきたいと思います。
専門機関の人口予測
国立社会保障・人口問題研究所が発表している将来推計人口では、南箕輪村の人口は、2035年の15,666人をピークに、2040年には15,608人となるという数字が出ています。
また、日本創生会議は、2040年の南箕輪村の人口は16,140人となる予測を発表しています。
・2040年 南箕輪村の人口 15,608人 (国立社会保障・人口問題研究所)
・2040年 南箕輪村の人口 16,140人 (日本創生会議)
長野県の推計人口
長野県の全体に目を向けてみると、2018年の県の人口は約2,065,000人ですが、2040年には約500,000人(25%)減少し、1,500,000人台になると予測されています。
長野県の中で、2035〜2040年頃まで、人口が増えるという予測が出ているのは南箕輪村のみです。
見方を変えてみると、2040年には南箕輪村より人口が多い「町」は県内では、隣の箕輪町と軽井沢町だけになる、というから驚きです。
もちろん県内の「村」の中で、最も人口が多い村であることは変わりません。
2040年まで、南箕輪村に大きな変化は起こりませんが、人口減が影響して、周辺自治体では、大きな変化が起こる可能性があります。
(3)2040年の長野県人口ランキング
国立社会保障・人口問題研究所が発表したデータを元に、2040年の長野県人口ランキング(推計)を算出してみましたよ。
2040年の長野県人口ランキング(推計)
順位 | 自治体 | 人口 |
1 | 長野市 | 301,857 |
2 | 松本市 | 208,978 |
3 | 上田市 | 120,927 |
4 | 佐久市 | 85,781 |
5 | 飯田市 | 79,860 |
6 | 安曇野市 | 78,208 |
7 | 伊那市 | 57,393 |
8 | 塩尻市 | 55,655 |
9 | 茅野市 | 46,548 |
10 | 千曲市 | 44,978 |
11 | 須坂市 | 38,508 |
12 | 諏訪市 | 38,349 |
13 | 岡谷市 | 38,020 |
14 | 中野市 | 34,787 |
15 | 小諸市 | 32,220 |
16 | 駒ヶ根市 | 26,364 |
17 | 東御市 | 23,888 |
18 | 箕輪町 | 22,079 |
19 | 大町市 | 17,355 |
20 | 軽井沢町 | 16,662 |
21 | ☆南箕輪村☆ | 15,608 |
22 | 飯山市 | 15,004 |
23 | 辰野町 | 14,329 |
24 | 御代田町 | 14,130 |
25 | 下諏訪町 | 13,485 |
26 | 富士見町 | 12,237 |
27 | 高森町 | 12,076 |
28 | 坂城町 | 10,756 |
29 | 松川町 | 9,963 |
30 | 松川村 | 8,146 |
31 | 宮田村 | 7,870 |
32 | 山形村 | 7,859 |
33 | 小布施町 | 7,817 |
34 | 飯綱町 | 7,700 |
35 | 山ノ内町 | 7,654 |
36 | 佐久穂町 | 7,457 |
37 | 池田町 | 7,361 |
38 | 白馬村 | 7,226 |
39 | 木曽町 | 7,085 |
40 | 原村 | 6,430 |
41 | 飯島町 | 6,216 |
42 | 高山村 | 5,869 |
43 | 信濃町 | 5,296 |
44 | 喬木村 | 5,127 |
45 | 豊丘村 | 4,993 |
46 | 立科町 | 4,889 |
47 | 阿智村 | 4,789 |
48 | 川上村 | 4,370 |
49 | 長和町 | 4,087 |
50 | 下條村 | 3,855 |
51 | 中川村 | 3,689 |
52 | 朝日村 | 3,453 |
53 | 青木村 | 3,268 |
54 | 阿南町 | 3,239 |
55 | 木島平村 | 3,212 |
56 | 小海町 | 3,009 |
57 | 南牧村 | 2,922 |
58 | 上松町 | 2,916 |
59 | 南木曽町 | 2,756 |
60 | 筑北村 | 2,707 |
61 | 大桑村 | 2,498 |
62 | 野沢温泉村 | 2,129 |
63 | 木祖村 | 1,979 |
64 | 麻績村 | 1,777 |
65 | 小川村 | 1,644 |
66 | 小谷村 | 1,601 |
67 | 泰阜村 | 1,215 |
68 | 栄村 | 1,069 |
69 | 生坂村 | 1,045 |
70 | 南相木村 | 695 |
71 | 天龍村 | 597 |
72 | 根羽村 | 565 |
73 | 王滝村 | 530 |
74 | 大鹿村 | 491 |
75 | 北相木村 | 452 |
76 | 平谷村 | 429 |
77 | 売木村 | 427 |
南箕輪村は21位という結果になりました。
長野って自治体多いですね。
(2)人口増の素地〜高い人口増加率
高い人口増加率
人口増の特徴として、昭和40年台から高い人口増加率を保ってきたと紹介しましたが、その内容をさらに深掘りしてみたいと思います。
近年、南箕輪村の人口が増えていることが、徐々にですが全国レベルでクローズアップされ始めています。
これは世の中が人口減少の時代に突入したことで、人口が増え続けている自治体についての研究や調査が、本格的に始まったことが要因の一つかと思います。
その結果、全国から地方議会や自治体の視察が多くあり、私もそのうちいくつかを担当しました。
でも、クローズアップされる前の時代、
日本全体が人口減少に入る前の南箕輪村ってどうだったのでしょうか。
学ぶべきことがそっちにたくさんあるのではないでしょうか。
そこに現在の人口増を支える素地があるのでは?
・・・と考えて、さっそく調べてみましたよ。
昭和40年→昭和45年
TOP5 | S40の人口 | S45の人口 | 人口増加率 |
南箕輪村 | 6146 | 6660 | 8.4% |
宮田村 | 6307 | 6767 | 7.3% |
塩尻市 | 44201 | 47000 | 6.3% |
下諏訪町 | 25352 | 26932 | 6.2% |
岡谷市 | 56986 | 60350 | 5.9% |
実は昭和40年当時から、南箕輪村の人口増加率は長野県内でTOPでした。
みなさん知っていました?僕は意外でした。
ただ、TOPと言うと実はちょっと語弊があって、
当時の記事によると4位となっています。
ただ、1〜3位の自治体が既に存在していないことから、現在からしてみればTOPということになります。(ちょっとズルイ?)
- 上郷町(かみさとまち)は1993年に飯田市に編入
- 本郷村は1974年に松本市に編入
- 鼎町(かなえまち)は1984年に飯田市に編入
- 波田町は2010年に松本市に編入
- 三郷村は2005年に他自治体と合併して安曇野市が発足
なお、当時の国全体の人口増加率は5.5%となっており、国を基準とした場合の村の人口増加率のプラスは+2.9%となります。(8.4-5.5=2.9)
2.9%ですので、南箕輪村がすっごい人口増加率が高い!という訳ではありませんでした。
昭和45年→昭和50年
TOP5 | S45の人口 | S50の人口 | 人口増加率 |
南箕輪村 | 6660 | 7676 | 15.3% |
塩尻市 | 47000 | 52164 | 11.0% |
小布施町 | 9625 | 10671 | 10.9% |
茅野市 | 36201 | 39718 | 9.7% |
松川村 | 6342 | 6861 | 8.2% |
昭和45年から50年にかけても南箕輪村は県内TOPの人口増加率となっています。
国全体では7.9%なので、15.3%を記録した南箕輪村はさらに+7.4%となっており、前回より人口増加率がかなり高まったことが分かります。(15.3-7.9=7.4)
昭和50年→昭和55年
TOP5 | S50の人口 | S55の人口 | 人口増加率 |
南箕輪村 | 7676 | 8877 | 15.6% |
箕輪町 | 17464 | 19729 | 13.0% |
山形村 | 5037 | 5578 | 10.7% |
茅野市 | 39718 | 43943 | 10.6% |
塩尻市 | 52164 | 57276 | 9.8% |
昭和40年から15年連続で、南箕輪村の人口増加率が長野県内でTOPとなっています。
私が生まれた時代なので約40年前・・・・の話です。
ここで記録した人口増加率15.6%という数字が、南箕輪村が今まで記録した
最大の人口増加率となっており、今後は徐々に低下の一途を辿ることになります。
また、国の人口増加率4.9%もここがピークとなっており、これ以降日本全体の人口増加率もどんどん低下していくことになります。
国を基準とした場合の増加率は+10.7%(15.6-4.9=10.7)とこちらも2桁突入となり、南箕輪村の人口増加率はここがピークかと思われますが、国全体の人口増加率が減少していく中で、南箕輪の本当の底力(ピーク)は15年後に見ることができます。お楽しみに。
昭和55年→昭和60年
TOP5 | S55の人口 | S60の人口 | 人口増加率 |
御代田町 | 9851 | 11260 | 14.3% |
山形村 | 5578 | 6230 | 11.7% |
南箕輪村 | 8877 | 9910 | 11.6% |
白馬村 | 7131 | 7919 | 11.1% |
箕輪町 | 19729 | 21445 | 8.7% |
3期15年連続で人口増加率がTOPの南箕輪村でしたが、昭和60年には御代田町と山形村に抜かされ、3位に後退します。
人口増加率は前回より4%弱ダウンしていますが、11.6%という高い人口増加率を維持しています。
国全体の人口増加率は3.4%と下がりましたが、国を基準とした場合の村の人口増加率は+8.2%となっており、前回の+10.7%から2.5%ダウンした程度です。
昭和60年→平成2年
TOP5 | S60の人口 | H2の人口 | 人口増加率 |
南箕輪村 | 9910 | 10666 | 7.6% |
茅野市 | 47274 | 50065 | 5.9% |
御代田町 | 11260 | 11895 | 5.6% |
箕輪町 | 21445 | 22651 | 5.6% |
松川村 | 7896 | 8337 | 5.6% |
昭和から平成に時代が変わり、南箕輪村の人口も10,000人を数えるようになります。
新時代に入って、人口増加率TOPの座も取り戻すことができましたが、人口増加率は7.6%と今までと比較すると低い数字となっています。(国の人口増加率は2.1%とさらに落ち込んでいます。)
国を基準とした場合の人口増加率は+5.5%となっており、前回の8.2%から3%弱こちらもダウンしています。
平成2年→平成7年
TOP5 | H2の人口 | H7の人口 | 人口増加率 |
南箕輪村 | 10666 | 12133 | 13.8% |
山形村 | 6513 | 7208 | 10.7% |
松川村 | 8337 | 9030 | 8.3% |
原村 | 6502 | 7005 | 7.7% |
平谷村 | 617 | 660 | 7.0% |
何が起きたのでしょう。
人口増加率が2桁に回復(前回は7.6%)しただけでなく、TOP5に入った他の自治体の増加率も、前期と比較して大きく上昇しています。
国の人口増加率は1.6%、長野県の人口増加率は1.7%とさらに減少しており、全体として人口増加率が上昇したという訳ではなさそうです。
なお、国を基準とした場合の
村の人口増加率は+12.2%(13.8-1.6)で歴代最大となっています。
平成7年→平成12年
TOP5 | H7の人口 | H12の人口 | 人口増加率 |
南相木村 | 1334 | 1584 | 18.7% |
南箕輪村 | 12133 | 13404 | 10.5% |
朝日村 | 4459 | 4908 | 10.1% |
平谷村 | 660 | 712 | 7.9% |
松川村 | 9030 | 9701 | 7.4% |
南相木村にTOPの座を奪われますが、南相木ダム建設工事の関係で一時的に人口が増えたことによるものなので、本質的には南箕輪村がTOPとなります。
国の人口増加率も1.1%に落ち込み、国を基準とした場合の人口増加率は+9.4%と、南箕輪村の人口増加率は以前高い水準を維持することが出来ています。
平成12年→平成17年
TOP5 | H12の人口 | H17の人口 | 人口増加率 |
山形村 | 7706 | 8195 | 6.3% |
軽井沢町 | 16181 | 17144 | 6.0% |
御代田町 | 13412 | 14124 | 5.3% |
茅野市 | 54841 | 57099 | 4.1% |
松川村 | 9701 | 10072 | 3.8% |
あれ?
あれあれ?
南箕輪村の姿が消え去りました。
南箕輪村 | 13404 | 13620 | 1.6% |
あっ!ありました。
12位です。
何があったのでしょう。
国の人口増加率0.7%と比較して1.6%と辛うじて上回ってはいますが、今までの流れでは想像できないとっ〜ても低い数字となっています。
平成17年→平成22年
TOP5 | H17の人口 | H22の人口 | 人口増加率 |
軽井沢町 | 17144 | 19018 | 10.9% |
南箕輪村 | 13620 | 14543 | 6.8% |
川上村 | 4759 | 4972 | 4.5% |
御代田町 | 14124 | 14738 | 4.3% |
山形村 | 8195 | 8425 | 2.8% |
谷底に沈んだ前期でしたが、V字回復して2位まで上昇してきました。
平成17年に現村長の唐木村長が就任し、子育てに手厚い施策を展開したことが、このような数字に反映されていると考えられます。
国の人口増加率は0.2%、国を基準とした場合の村の人口増加率も+6.6%まで一気に回復しました。
平成22年→平成27年
TOP5 | H22の人口 | H27の人口 | 人口増加率 |
南箕輪村 | 14,543 | 15,063 | 3.6% |
御代田町 | 14,738 | 15,184 | 3.0% |
松本市 | 243,037 | 243,293 | 0.1% |
原村 | 7,573 | 7,566 | -0.1% |
軽井沢町 | 19,018 | 18,994 | -0.1% |
そして再びTOPへ。そして現在に至ります。
なお、国の人口増加率も-0.8%といよいよマイナスの時代に突入してしまいました。
また、TOP3以外の74自治体は人口増加率がマイナスという時代にもなっています。
わかったこと
南箕輪村では、過去から引き続く人口増加率の高さが、移住者が7割、地元民が3割というとっても珍しい人口構成の現象を引き起こしていることがわかりました。
また過去から引き続く人口増加率の高さは、現在の若い村、人口が増え続ける村の要因の一つに確実に挙げられると断言できます。
(3)県内で唯一自然増を記録
社会増減と自然増減そして人口増減
上述の(2)人口増の素地〜高い人口増加率では、国勢調査の数字を元にしたデータを年代ごとに紹介しましたが、こちらでは毎年の社会増減と自然増減から算出した人口増減についてみていきたいと思います。
2018年、南箕輪村は長野県で唯一「自然増」を記録した自治体となりました。
・自然増とは
出生数と死亡数のプラスの差
南箕輪村が唯一と言うことは、村以外の76自治体全てが「自然減」であったといえます。
・自然減とは
出生数と死亡数のマイナスの差
自然増の数は3人
平成に入った1989年から2017年までは、
平均して52人の自然増を記録していた南箕輪村ですが、
2018年は極端に減少して自然増の数は3人となってしまいました。
2019年の速報でも自然増の数は1人となっており、いつまで自然増を記録できるのか・・・いよいよ怪しい感じとなっております。
平成2年→平成7年
社会増減 | 自然増減 | 人口増減 | |
H2 | 180 | 61 | 241 |
H3 | 612 | 36 | 648 |
H4 | 149 | 66 | 215 |
H5 | 68 | 46 | 114 |
H6 | 233 | 75 | 308 |
合計 | 1,242 | 284 | 1,526人増加 |
<国勢調査> | H2の人口 | H7の人口 | 増加数 |
南箕輪村 | 10,666 | 12,133 | 1,467人増加 |
社会増減+自然増減=人口増減となります。
社会増減の特徴は、年によって増えたり、減ったり、大きな数の隔たりがあるということです。
・社会増とは
転入者と転出者のプラスの差
平成3年に記録した社会増612人は現在に到るまでに記録した最大数となっており、その理由として、転出が299人と、とっーても少なかったことが挙げられます。
社会増減と自然増減を足した人口増減は、平成2年からの5年間は、1,526人のプラスとなっており、国勢調査の数字12,133−10,666=1,467人と多少誤差があります。
平成7年→平成12年
社会増減 | 自然増減 | 人口増減 | |
H7 | 474 | 49 | 523 |
H8 | 89 | 69 | 158 |
H9 | 430 | 54 | 484 |
H10 | 117 | 81 | 198 |
H11 | 119 | 49 | 168 |
合計 | 1,229 | 302 | 1,531人増加 |
<国勢調査> | H7の人口 | H12の人口 | 増加数 |
南箕輪村 | 12,133 | 13,404 | 1,271人増加 |
平成7年(1995年)に地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災など、都市圏で国を揺るがす大きな事件が立て続けに起こりました。
その結果、地方への人口移動が増え、転入転出ともに4桁(=1,000人以上)を記録するようになります。
1995年は地方から3大都市圏への人口移動の数字が減った珍しい期間として、人口移動マニアの中では有名です。(そんなマニアいるのかな・・・)
南箕輪村では南部小学校が平成8年に完成したので、それに関連した人口移動も少なからずあったと推測されます。
平成7年から5年間の社会増減と自然増減は、それぞれ前5年とほぼ同様の数字となっています。
平成12年→平成17年
社会増減 | 自然増減 | 人口増減 | |
H12 | 244 | 83 | 327 |
H13 | -66 | 52 | -14 |
H14 | -78 | 40 | -38 |
H15 | 182 | 61 | 243 |
H16 | 81 | 56 | 137 |
合計 | 363 | 292 | 655人増加 |
<国勢調査> | H12の人口 | H17の人口 | 増加数 |
南箕輪村 | 13,404 | 13,620 | 216人増加 |
南箕輪村も平成に入って初めて社会減を記録し、そして初めて人口減を体感しました。
そして、死亡数についても残念ながら、平成13年に初めて3桁(=100人)を記録しています。
南箕輪村に最も転入者が多かったのが、平成12年に記録した転入1,617人で、同年に記録した転出1,373人も転出最大数となっています。
加えて、今まで1,500人ペースで増えてきた人口も、655人と、前期と比較して半分以下の600人台に落ち込んでしまいました。
平成12年に子ども未来センターの建設が頓挫したり、平成16年に平成の大合併の投票があったり、なんとなく嫌な雰囲気があったのかもしれません。
ただ、個人的にも、村政的にも、未来センターは建設中止になってよかったと思っています。
・子ども未来センターとは
県の施設で、現在の大芝高原の芝生広場に立つ予定だった科学体験的な施設で、その内容は大手広告代理店がプロデュースした、なんていうか・・・昭和な施設でした。
話を戻すと、655人と前期に比べて大きく落ち込んでいますが、国勢調査のデータを元にした結果は(2)で紹介したとおり、13,620ー13,404=216人とさらに少ない数字となっています。
仮に今回の655人を採用した場合、ランキングではベスト3には入る形となります。(国勢調査ではランク外)
平成17年→平成22年
社会増減 | 自然増減 | 人口増減 | |
H17 | -102 | 40 | -62 |
H18 | 91 | 53 | 144 |
H19 | 146 | 36 | 182 |
H20 | 131 | 30 | 161 |
H21 | 62 | 55 | 117 |
合計 | 328 | 214 | 542人増加 |
<国勢調査> | H17の人口 | H22の人口 | 増加数 |
南箕輪村 | 13,620 | 14,543 | 923人増加 |
平成18年に木曽と伊那谷を結ぶ「権兵衛トンネル」が開通したことにより、人口移動にプラスの効果が見られました。
しかし、平成20年のリーマンショックが影響し、日本全体での人口移動が減少傾向となったため、転出においては3桁(1,000人未満)に戻りました。
前期は増加数が、1,500人台から600人台まで一気に落ち込みましたが、今期は542人と、前期と同様規模となりました。
気になる数字としては、国勢調査のデータを元にした場合の増加数、14,543ー13,620=923人との差です。
前期はプラスにブレましたが、今期はマイナスの方に大きくぶれたことになります。
平成22年→平成27年
社会増減 | 自然増減 | 人口増減 | |
H22 | -125 | 46 | -79 |
H23 | 135 | 32 | 167 |
H24 | 89 | 25 | 114 |
H25 | 95 | 64 | 159 |
H26 | 43 | 50 | 93 |
合計 | 237 | 217 | 454人増加 |
<国勢調査> | H22の人口 | H27の人口 | 増加数 |
南箕輪村 | 14,543 | 15,063 | 520人増加 |
平成26年の出生数は178人(死亡数は128人)となり、近年で最も多い数となっています。
「南箕輪村で赤ちゃんが最もたくさん生まれたのは平成26年と超最近なんだよ!」
みたいな〜口コミは、ドンドン広めていきたいですね!!!
逆に、平成22年に記録した社会減125人は、近年で最も大きな減少となっています。
整理します
公式データがあるのはここまでなので、一旦整理したいと思います。
まず、問題点として挙げられるのが、国勢調査の結果と人口増減の結果では、その人数に大きな差異があるということです。
具体的には、平成2年から積み重ねると、人口増減の方が国勢調査より、増えた人口が311人も多い結果となっています。
そこでかなり強引ですが、現在の人口(国勢調査)に数字を合わせるために、人口増減のデータでは、平成2年の人口を10,666人から311人引いた10,355と仮定して、人口増加率を再計算してみようと思います。
再計算結果(人口増減)
現在の人口 | 5年後の人口 | 増加数 | 人口増加率 (人口増減) | <参考> (国勢調査) | |
H2 | 10,355 | 11,881 | 1,526 | 14.7% | 13.8% |
H7 | 11,881 | 13,412 | 1,531 | 12.9% | 10.5% |
H12 | 13,412 | 14,067 | 655 | 4.9% | 1.6% |
H17 | 14,067 | 14,609 | 542 | 3.9% | 6.8% |
H22 | 14,609 | 15,063 | 454 | 3.1% | 3.6% |
H27 | 15,063 |
人口増加率のグラフ
グラフにしてみると、人口増減のデータでは国勢調査と比較して、
人口増減率の変化がなだらかであることがわかりました。
改めて国勢調査との比較
国勢調査を元にしたデータで生じた、平成12年→平成17年の急激な人口増加率低下の理由は不明でした。
人口増減の数を元にした場合は、上記のような人口増加率の極端な変化は見受けられず、こちらのデータを信じた場合は、その理由は日本国全体の人口増加率の低下によるものとしてもいいかもしれません。
また、平成2年→平成7年の極端な人口増加率の増加については、平成3年のびっくりするぐらい転出者が少ないことが原因ではないかと考えています。
それが何でと言われれば「これから調べます。」ということで、ここは閉じたいと思います。
なお、国勢調査の数字と、人口増減の数字、どちらが正しいのかは永遠に謎のままにしておいた方がいいでしょう・・・。
コメント